がんが気になりインターネットで情報収集するとがん保険必要論とがん保険不要論の真反対の見解が存在することに気づきます。どちらにすべきか迷いますが『高額療養費があればそこまで自己負担額は大きくならないからがん保険は不要』という意見を支持する人も少なくないかもしれません。しかし、これには落とし穴があって……。本記事では、株式会社ライフヴィジョン代表取締役のCFP谷藤淳一氏が、田中瑞希さん(仮名・40歳)の事例とともに、高額療養費制度の落とし穴について解説します。

「医療保険だけ加入しておけば、がん保険は不要だろう」

神奈川県横浜市在住、会社員で41歳の田中瑞希さん(仮名)。

田中さんは大学卒業以来IT系企業に勤め年収は約450万円で現在はシングル世帯です。7年前に乳がんを発症し、現在も治療を続けています。会社はがん治療と仕事の両立に対して理解があり、病院受診時には気兼ねなく休暇を取得でき、出社の必要のないときには業務をオンラインでの対応にしてくれるなどのサポートをしてもらえて田中さんも非常に助かっています。

ただしがん治療に関してひとつだけ大きな後悔の念があるのが過去の保険選択についてです。乳がんの診断を受けるちょうど1年前に田中さんはがんが気になり始め、がん保険の加入を検討していました。保険のことはあまりよくわからなかったためインターネットでがん保険について調べようと『がん保険』と入力したところ『がん保険必要』『がん保険いらない』といった検索候補が表示され、田中さんもまずはがん保険が必要か不要かということから見ていくことに。いくつかのコラムを見ていくと、

【がん保険必要】

①女性は20代後半からがんのリスクが高まる ②長期療養で治療費が高額になる ③健康保険適用外で高額自己負担の治療がある

【がん保険不要】

④もともと発症確率が低い ⑤入院は短期化傾向 ⑥高額療養費で自己負担額は大きくならない

といった意見があることがわかりました。

さまざまな意見がありましたが、田中さんは最終的に健康保険適用外の高額な治療などは受けるつもりはなかったため、それであれば【がん保険不要】のなかの『⑥ 高額療養費で自己負担額は大きくならない』という意見を支持し、がん保険の加入は見送りました。ただまったく保険がないことは不安でがん以外の病気のリスクもあり得るため、あらゆるけが・病気への備えとして、

■けが・病気で入院:1日当たり1万円のお支払い ■けが・病気で手術:1回当たり20万円のお支払い

という内容の医療保険だけインターネットで加入しました。

高額療養費と医療保険でおつりがきた

結局がん保険は不要という結論になり、がんの備えは高額療養費と医療保険という選択をした田中さんですが、7年前に乳がんが発覚し最初の治療時には自分自身の選択が間違っていなかったことを実感します。

会社の健康診断のオプションで受けた乳がん検診で乳がんが見つかったのですが、幸いがんは早期だったため、8日間の入院手術で無事にがんを取り除くことができました。

高額療養費の申請をしたことで入院費用の自己負担額は約14万円。それに対して医療保険から、

■入院1日当たり1万円×8日間 ■手術1回当たり20万円

の支払いがあり10万円以上のおつりを受け取ることができました。術後再発予防のために通院でホルモン治療を受けることになりましたが、残ったお金でその費用をまかなえたので、田中さんは万が一再発・転移などがあってもがん治療に対して万全の保障があると感じ、お金の面での不安はなくなりました。

がん転移で万全の保障が機能不全に

ところが乳がん発覚から3年経過後がんが肺に転移していることがわかりました。そのときは手術をすることができない状態ということで、抗がん剤治療を通院で行っていくことになりました。おおむね3週間に1回通院して効果が続く限り治療を続けていくということです。

長期の治療となりお金もそれなりにかかるものと思われましたが、前回の経験から高額療養費と医療保険があることで自己負担はそれほどないものと安心していました。ところが治療が開始されて定期的に通院して治療費の会計をしてみるとあることに気づきます。それは、

「高額療養費」と「医療保険」の出番がない

ということです。

毎月数万円の長期通院費

幸い抗がん剤の治療効果はあるようで、もちろん副作用などのつらさはあるものの仕事も継続でき、自立した生活が続けられている田中さん。ただし、治療後の医療費に関しては請求された金額を毎回そのまま支払っています。

前回の入院手術のケースと違いがん治療費が単発で大きくかかるのではなく、毎月毎月一定額がかかり続ける状態が続き、しかもいまのところ終わりが見えません。

毎月数万円の治療費自己負担があり、いままで貯蓄に回せていた金額がすべて治療費に消えるようになりました。また月によっては赤字になることもあり、治療開始から数ヵ月が経過したところで毎月の家計出費の見直しをせざるを得なくなりました。

そして毎月の出費をチェックしていて気づいたことがあります。それが、

医療保険の保険料は払い続けなければならない

ということです。がん治療を長期で続けているにもかかわらずまったく出番のない医療保険。田中さんは解約することも考えなければならないと感じました。

治療費自己負担額累計が200万円超に

がんの転移が発覚後抗がん剤治療を続けてきた田中さん。なんとか家計を節約して治療費も払うことができています。ただ、現在はなんとか仕事が継続でき収入を稼ぐことができているのですが、万が一病状が悪化する、もしくは副作用がさらに強くなることで、働けなくなってしまうことが心配になってきました。

がんというと100万円とか300万円といった大きな金額がまとまってかかるものというイメージを持っていた田中さんですが、現在のように1回あたりは支払える金額でも、かかり続けることで毎月家計を節約し続けなければならないという展開はまさに予想外でした。

その毎月発生している数万円単位のがん治療費ですが、計算してみると累計で200万円を超えました。もしがんがなければ200万円の貯蓄ができていたと考えると、将来に対する経済的な不安も出てきました。

そしてなにより、

高額療養費で自己負担額は大きくならない

というがん保険不要論ですが、すべてのがん治療に当てはまるわけではないことを痛感。もっと慎重に判断すればよかったと後悔の念が湧いてきました。

高額療養費の弱点とがん保険の役割

今回の事例の田中さんはインターネットで『がん保険不要』という考え方を支持し、初めてのがん治療の時には高額療養費と加入した医療保険のおかげで治療費をすべてまかなうと同時におつりまで受け取ることができました。

ところががんの転移発覚後の治療では万全と思っていた保障が全く機能することなく、治療費の全てを自分の収入や貯蓄から負担することとになったのですが、なぜそのような事態になってしまったのでしょうか。

田中さんは最初にインターネット上で『がん保険必要、不要』それぞれの意見を吟味したわけですが、がん治療の実態を知らない状態で見たため、本当に必要な保障の形がわからないまま判断してしまった可能性があります。

以下でがん治療の実態と高額療養費、及びがん保険の特徴について確認し、あるべき保障のあり方について見ていきたいと思います。

高額療養費と医療保険は早期がんへの備え

今回の事例で田中さんの最初の入院手術の際には高額療養費が申請できたため、入院費の自己負担額は14万円程度で済みました。そこへ医療保険から28万円の支払いがありむしろおつりを受け取るという結果になりました。

しかしがんの転移が発覚以降の治療においては毎月数万円単位の治療費が長期でかかり続けているにもかかわらず、高額療養費や医療費の出番がなくすべて自己負担となり、それが家計を圧迫する結果となっています。

がんの備えを考えるうえで大切なことなのですが、実は高額療養費と医療保険は『がんの早期段階に対する備えである』ということです。具体的にはどちらも入院手術に対して大きな助けになる保障といえます。

高額療養費は厚生労働省によると、

高額療養費制度とは、医療機関や薬局の窓口で支払った額※1が、ひと月(月の初めから終わりまで)で上限額を超えた場合に、その超えた金額を支給する制度です。 ※1 入院時の食費負担や差額ベッド代等は含みません。

となっており、具体的な計算式は例えば今回の事例の田中さんの年収約450万円の場合は下記のとおりです。

自己負担の上限額=8万100円+(医療費-26万7,000円)×1%※2 ※2 この計算式は、年齢、年収額等により変わります。正確な内容は厚生労働省HPでご確認ください。

この計算式の頭に『8万100円+』とありますが、これは『8万100円までは保障対象外で全額自分で負担してください』という意味です。それ以降の部分は『(医療費-26万7,000円)×1%』となっていて『それ以上費用がかかる場合に1%程度を支払ってください』という形なっています。

ですから仮に医療費が300万円発生したとしても、この医療費のところに300万円を入れて計算すると自己負担額は約10万円で済んでしまいます。

それから医療保険ですが今回の事例においては、

■けが・病気で入院:1日当たり1万円のお支払い ■けが・病気で手術:1回当たり20万円のお支払い

といった内容のもので、これは一般的な医療保険の保障内容です。文字どおり『入院』と『手術』が支払いの対象となっています。これらのことから、

■高額療養費は8万100円までは保障対象ではない ■医療保険は入院・手術がないと保障対象ではない

といえ、がんが転移して、

通院での毎月数万円の治療費が長期化する

という展開ではまったく保障が得られない可能性があります。

進行がんへの備えががん保険

がん保険の役割は、まさに今回の事例のように、がんが転移して通院での治療が長期化した場合にその治療費を助けてもらうことといえます。もちろん最初の入院手術においても支払いを受けることはできます。しかしがん保険に加入する真の目的は、

がんの再発転移で長期の治療費に備えること

です。ですから今回の事例において田中さんはインターネット上での見解、

【がん保険不要】 ⑥    高額療養費で自己負担額は大きくならない

を支持したわけですが、がんの再発転移等で『長期療養で治療費が高額になる』ということをイメージできなかった可能性があります。

がん治療が長期化すると、累計で治療費自己負担が200万円以上となる場合があります。もちろんその事態を想定し、それでもその程度の費用は貯蓄で対応可能という場合にはがん保険は不要といえます。

ただし事例の田中さんのように、毎月の収入から数万円の貯蓄ができていた分が毎月のがん治療費に消えていき、いままでできていた貯蓄ができなくなるという展開も無視できません。田中さんのようにまだ40代でこれから老後の準備を行っていくという段階の人が、毎月の資産形成ができなくなりそのまま老後を迎えてしまうという状況を想像することも大切であるといえます。

まとめ

がん保険は必ず加入しなければならない保険ではありません。ただしその判断をする際に実際がんになってしまった時にどのようなシナリオが想定されるのかということをリアルにイメージすることは非常に大切です。

現在はインターネットで情報が簡単に取得できる時代になって便利ではありますが、情報が多すぎて取捨選択の難しさも存在します。がんは情報の取り方ひとつでその後の結果が大きく変わってしまう特徴があります。もし自分自身で正しい情報収集が難しい場合にはがん治療の実態とがん保険に詳しいFPなど専門家への相談も検討してみてはいかがでしょうか。  

谷藤 淳一

株式会社ライフヴィジョン

代表取締役

(※写真はイメージです/PIXTA)