今やどこの街に行っても目にするインドカレー屋。しかし、どの店も似通ったメニューばかり……バターチキンカレーとナンのセットが“定番”といえるが、最近ではチョコレートナン、明太子ナン、あんこナンなど、“魔改造”ナンを出す店も増えている。

そもそも、なぜインドカレー屋は日本中に存在するのか? 素朴な疑問の答えを徹底的に追求した1冊の本『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』が話題を呼んでいる。著者の室橋裕和さんに話をうかがうと、そこにはインドカレー屋の知られざる裏事情と悲しい現実が見えてきた。

インドカレー屋はネパール人経営が多い?

日本各地に存在するインドカレー店はネパール人が経営していることがほとんどだと、室橋さんの著書のなかにはあった。その理由は?

「もちろんインド人がやっているところもあるんですが、大半はネパール人です。ネパール人経営のインドカレー店は“インネパ”とも呼ばれ、日本のいたるところにあります。そもそもの理由は外食産業がネパール人の出稼ぎの手段になっていて、インドでコックとして働いてきたネパール人が、さらに大きなお金を稼ぐために日本へ渡ってくる動きが広がったのです」

とはいえ、日本にやって来るのも簡単な話ではない。店を出すのにも多額の資金が必要になる。親戚や銀行からお金をかき集め、海を渡って出稼ぎにやってくるネパール人たちが大勢いるのだとか。

「“なんとしてでも稼いで一旗あげてやる!”とか“絶対に失敗できない”っていう必死な気持ちで日本にやってくるネパール人がほとんどだと思いますよ。昔は単身赴任の出稼ぎスタイルがすごく多かったんですけど、 今では家族を一緒に連れてくる人も増えました。奥さんも働いて家計を支え、子供は日本の学校に通わせる。それって並大抵の根性じゃできないですよね」

◆居場所のないカレー屋の子供たち

そんなインネパ界で今一番の問題と感じているのが、カレー屋の“子供”のことだという。親は経営に追われて忙しく、子供の面倒を十分に見れない。わけもわからず日本に連れてこられた子供たちは、なかなか馴染むことができない。家庭にも社会にも居場所がなく孤立状態に。

「行き場をなくしているカレー屋の子供ってたくさんいるんですよ。まだ母国語が固まってないうちに、日本語を覚えなければいけない。なかなか僕らには想像ができないけど、“思考”するにも頭の中で何語で考えたらいいのかわからないっていう状態が常にあるんです。それって、ものすごいストレスなんですよね」

子供の教育に関心の低いネパール人も多く、ネグレクト状態になっているケースが存在するそうだ。自宅やカレー屋で、スマホをいじってるだけで学校へ行けないという小中学生が後を絶たないのだとか……。

◆“魔改造“ナンも…インドでもネパールでもない「日本人向け」メニュー

室橋さんによれば、じつはインネパ店で出されるカレーは、本当のインド料理でもネパール料理でもないという。一体どういう意味なのだろうか。

「インネパ店で出されているのは北インドのカレーを外食風にアレンジしたちょっと濃い目の味付けのものです。グレイビーでリッチな感じ。あまり一般家庭で食べるものではないんですよね。そもそもナンやタンドリーチキンっていうのは、タンドールという釜がないと焼けないので……ネパール人が普段食べているものとは全然違います。ネパール人はご飯にダル(豆の汁)がメイン。カレーの味付けはスパイスの量も少なく、野菜や高菜、アチャールという漬物や発酵ものが多いので、どちらかというと日本人の食文化に近い。日本に来てナンを初めて食べたというネパール人も多くいます」

そんななか、インネパ店でもお客がよく入る店とそうじゃない店の差があるそうだ。その違いを聞いてみた。

インド料理店でも店によって工夫されてるところがだいぶ違っていて、お客さんを意識していろんなものを出しています。そこで生まれたのが魔改造ナンですよね。魔改造はやっぱネパール人のしなやかさというか、柔軟性の象徴みたいなところがあるんじゃないでしょうか。

インド人から見たらチョコナンとか、もしかしたら許せないのかもしれない。でもネパール人はそこをあんまり気にしない。やっぱり日本人にいかにウケるかってところが大事。あくまで稼ぎに来てるわけで、日本人のお客さんを掴むためだから、いろいろ考えてメニューを開発していますよ」

アメリカ人が食べる寿司、カリフォルニアロールのような感じというわけだ。本場のインドには魔改造ナンは存在するのだろうか?

「こないだインドに行ったときにいろんな店で食べてきたのですが、チーズナンくらいはありますね。でもインドのものは上にチーズが乗せてあってピザのようなものでした。日本のチーズナンは中に挟んであるじゃないですか。

正直、日本のほうがぜんぜん美味しかったですね。カロリーはすこし気になるけど(笑)。ちなみに本場のナンは日本のナンほど大きくないですね。一説によると、日本人は“映え”を意識するから、なるべく大きくしろっていわれてるのだとか。現地の人はもっとうすっぺらいチャパティとかを食べているので、ナンは外食時の食べ物って感じですね」

◆日本語が飛び交う、移民の里「バグルン」へ行って

日本に出稼ぎにやってくるネパール人は、山奥に存在する「バグルン」の出身者が大半だという。室橋さんは本の執筆にあたって現地へ足を運び、自らの目で確かめてきたそうだ。

「出稼ぎや海外留学を斡旋してる看板や情報が街中に溢れていました。だからか、若者のほとんどが出てしまってる感じです。いたとしても同じように出たいと思っているか、ビザの申請中とか。 特に田舎の村に行けば行くほど目立つのは老人と子供ばかりでしたね」

中心地のバグルン・バザールに行った時、日本の存在感が異様に強いことに驚いたという。

「歩いてたら突然『NISSAN MOMO』という食堂を見つけて、聞いてみると親戚が日産の工場で働いてたからって。食器屋に入ってみたら、『うちは日本に出稼ぎに行く人たちがカレー屋で使う食器を買ってくんだ』と言ってたり。すれ違いざまに『今日本のカレー屋で働いてるんだけど、休暇で帰ってきてるんだよ』と日本語で話してきたりとかで、びっくりしましたね」

日本へ出稼ぎに行っていた人や、現在進行形で行っている人、または家族の誰かが行っているという人も。 カレー屋だけではなく自動車工場で働いていた、働いている人たちが多いのだという。そのなかでも印象に残っているのが突如話しかけてきた現地の子供たちだった。

「突然子供たちがぼくの目の前にやってきて、『アーユージャパニーズ?』と聞かれたんです。そうだよと答えると、『今、日本でお父さんとお母さんがカレー屋で働いてます。僕も将来は日本に行きたいです』と、綺麗な英語で言ってきました。でも正直この子たちが日本に来てどうなるのかな、はたして幸福なんだろうかっていうことを考えてしまい、すこし胸が苦しくなりましたね」

◆人生をかけて日本にやってくるネパール人にリスペクト

現在、日本では円安問題や経済不況だと騒がれているが、それでも日本に来たいと思っているネパール人はまだまだたくさんいると室橋さんは言う。最後に、バグルンまで行ってみて、もっとも印象に残ったことをうかがった。

「やっぱ遠いなっていうことですよね(笑)。文化的にも地理的にも遠い。あの山の果てからこの日本まで来てカレー屋を開く。しかもネパール料理じゃなくてインド料理屋って…… すごい大変なことなんだなって実感しました。

じゃあ日本人がバグルンで、中華料理屋をやれって言われても無理じゃないですか。でも彼らはそれをやってきている。しかもネパールよりも経済的に発展している国に来ているわけだから、相当頑張って何段もステップを超えて、ここまで来てるんだなっていう。この人たちはやっぱり只者じゃないなって。リスペクトを感じましたね」

棚田が連なっていて日本の美しい原風景を想起させるバグルン。広々とした家の周りは石垣に囲まれ、敷地内の畑ではハーブや野菜、豆を育てていたという。庭の木には果物がなり、裏の川では魚が取れる。人里離れたネパールの山奥から人生をかけてやってくるネパール人たちのメンタリティに感服せざるを得ない。

日本が閉ざさない限り、これからもカレー移民は増え続けていくのかもしれない。

<取材・文 /桃沢もちこ、撮影/藤井厚年>

【桃沢もちこ】
’93年生まれのフリーライター。社会問題からトレンド、体験取材まで幅広く書きます。アイドルオタクに詳しい。Twitter:@mochico1407

インネパ店で出される“魔改造”ナン(左:明太子ナン、右:あんこナン)※提供写真