(古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)

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 イラン(正式国名は「イラン・イスラム共和国」)が日本のメディアにしきりに登場するようになった。もちろん米国とイランとの対立が直接の原因である。米国とイランの対立は日増しに激しくなっており、米国政府は6月24日イランの最高指導者ハメネイ師をも経済制裁の対象に加えた。日本の安倍晋三首相が、米国とイランの緊迫した対立を緩和しようと調停を図ったことも、日本でのイランへの関心を高めることとなった。

 では、日本にとってイランとはどんな存在の国なのだろう。日本の新聞やテレビがイランを紹介するときの決まり文句は「親日国」である。イランは日本に対して優しく親近感を抱いている国、ということだろう。日本とは共通点が多い国なのだという暗黙の前提もそこには感じられる。

 だが、その側面だけでイランを語っていいのだろうか。イラン国民の間に日本への友好の気持ちが強いことは確かだろう。イラン政府が日本に対しては利害をぶつけるような言動をとらず、穏健な姿勢をみせることも事実である。

 だがイランという国は、国際的にみるときわめて特殊であり、異端の存在である。日本や米国が共有してきた民主主義社会の価値観からははるか遠いところに立つのが今のイランであるといってよい。

 イランの特殊性には、国際テロの支援や核兵器の開発も含まれる。イランのそうした特徴は日本におけるイラン論ではほとんど指摘されない。今、日本に求められるのは「好きか嫌いか」とはまったく異なる次元で、イランという国を国際的な視点から冷静に正しく認識することであろう。

米国大使館を占拠し外交官を人質に

 現在のイランの特殊性を理解するには、まず、イランと米国がなぜここまで相互を敵視し対決しているのかを知っておく必要がある。

 米国とイランとの決定的な敵対関係は、1979年11月、イランが首都テヘランの米国大使館を占拠し、米国人外交官ら52人を人質にとったときから始まった。

 この事件のきっかけとなったのは、イランのパーレビ国王の米国亡命だった。イランの近代化を進め、米国とは友好関係にあったパーレビ国王は、イスラム原理主義派の革命に追われエジプトに亡命し(1979年1月)、その後、末期がんの治療のため米国に渡った。イランの革命政権は米国がパーレビ国王の亡命を受け入れたことに抗議し、同国王の引き渡しを求めた。だが米国は当然ながらこの要求を拒んだ。時の米国の大統領民主党リベラル派のジミー・カーター氏だったが、イランの要求に応じられるはずはない。するとイラン側は米側の外交官らを拘束して、人質にとり、米国政府への要求の材料としたのである。

 テヘランに拘束された米国側の人質たちは公開の場に引きずり出され、自国の政府の非難などを述べさせられた。エリートの米国外交官が後ろ手に縛られ、ときには目隠しまでされて、テレビカメラの前に立ち、苦痛をにじませながら、イラン側から命じられる言葉を口にしていた。こんな光景が全世界に伝えられた。米国人家庭のテレビでも連日連夜、放映されたのだった。

 当時、毎日新聞の記者としてワシントンに駐在していた私は、文字通り連日連夜、米国人の人質たちの惨状をテレビで見ることになった。その映像に対する一般米国民たちの怒りや当惑の反応も、いやというほど目撃した。

 イラン側は結局、米側の人質を444日間も拘束した。カーター政権はイランの米国大使館占拠を卑劣な国際テロとみなした。テヘランに米軍の特殊部隊を送り込む救出作戦も実行したが、途中で失敗した。

 最終的に人質は解放されたが、米国の激しい怒りは収まらなかった。イランに対する憎しみと敵意は歴代政権へと引き継がれ、米国政府の対イラン政策の根幹となっていったのだ。

「イスラエル抹殺」を宣言

 米国とイランのこの敵対関係は40年後の現在も続き、かえって溝は深まったともいえる。米国大使館占拠の後も、欧米諸国の脅威となる敵対的な対外姿勢をとり続けてきたからである。

 その対外姿勢には少なくとも3つの特徴がある。

 第1は、国際テロへの支援である。

 イランが中東でイスラム過激派のテロ組織の「ヒズボラ」や「ハマス」に資金や武器を与えてきたことは広く知られている。イラン当局がこうしたテロ組織に実際の攻撃命令を下したとされる実例も頻繁に指摘されてきた。

 米国歴代政権は1984年以来、イランを一貫して「テロ支援国家」に指定してきた。トランプ政権も最近イランの「イスラム革命防衛隊」を国際テロ組織に指定した。

 第2は、イスラエル抹殺の宣言である。

 イランは一貫してイスラエルという国家の存在を否定し、その破壊を国是として掲げてきた。この姿勢は、米国の中東政策の完全否定となる。さらには、イスラエルの存在を認めているイスラム系国家の政策とも衝突する。核兵器開発を目指すイランによる「イスラエル抹殺」宣言は、きわめて不吉で危険な威嚇といってよい。

 第3は、自国民の人権抑圧である。

 現在のイランは、イラン・イスラム共和国という正式国名の通り宗教が政治を支配する現代世界では珍しい宗教国家である。自国民にはイスラム古来の厳格な戒律を課しており、女性の社会進出の禁止、男女関係の乱れへの規律、同性愛の否定など、戒律への「違反」には死刑を含む苛酷な懲罰が加えられる。

 イラン当局による自国民の人権弾圧は 国連も正面から取り上げて何度も警告や抗議を重ねてきた。イランの社会は、民主主義や人権を重んじる日本や米国などとはまったく異次元の世界なのである。

日本とはあまりに異なるイランの現実

 こうみてくると、イランの国際社会での特殊性は決して米国の一方的な基準から生じているわけではないことが明確になってくる。イランという国は、国連に象徴される現在の世界の普遍的価値観に完全に背を向けているのだ。

 主権国家が自国の統治にどのような形態を選ぶかは、もちろん自由である。その形態が国際基準に当てはまらない異端であっても、他国にとやかく言われる筋合いはない。ただしそこには、その形態があくまで国内に留まり、他国への押しつけがなければ、という前提がある。イランの場合、明らかに異端の価値観のまま外に打って出るという状態なのだ。だから外部社会としては、その異端の攻勢にどう対応するかが重大な課題となる。

 米国とイランの対立が深まる一方で、日本ではイランの「親日国」というイメージが強調されている。その背後には、日本とイランが共通の価値観を持ち、互いに分かり合えるという認識も見え隠れする。だがイランの現実は日本とはあまりに異なるという実態も知っておくべきだろう。

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