留置場で男性が足に大きなアザを残して死亡した。「取り調べによる暴行が疑われる」として特別公務員暴行陵虐致死容疑で刑事告発されながらも2名の警察官が不起訴となったことに対し、異議申し立てを受けた検察審査会は8月28日、改めて「不起訴判断は相当」との議決を下した。医師の突然の死から間もなく10年、死の真実を追い求め、民事、刑事で真実を問い続けてきた遺族は今、何を思うのか・・・、話を聞いた。

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(柳原三佳・ノンフィクション作家)​

まるで小林多喜二の遺体のよう

 まずは下の2点の写真を見てください。

 これは死体検案時、警察によって撮影されたものです。遺体の右の下腿部に、どす黒い大きな内出血が広がっているのがはっきりわかります。

 遺族は、死亡の連絡を受けて駆けつけた病院でこのアザを見たとき、とっさにこう思ったといいます。

「その姿はまるで、昔写真で見た小林多喜二の遺体のようでした。警察から帰ってきたら皆こんなになるのだろうか・・・と、大きなショックを受けました。私は看護師なので、これまで外傷を負った患者さんを何人も見てきました。でも、あれほど酷い状態の足は見たことがありませんでした」

 2010年2月6日、入院患者に必要のない手術を行い死亡させた疑いがあるとして「業務上過失致死容疑」で逮捕された医師の塚本泰彦氏(当時54)。その日から、奈良県警桜井警察署の留置場で取り調べを受けていました。

 ところが、逮捕から19日後、異変は起こります。

 2月25日朝、塚本氏は留置場の中で心肺停止状態に陥り、近隣の病院に救急搬送されましたが、午前10時45分に死亡が確認されたのです。

 奈良県警は死亡当日に早々と「死因は病死であり、留置管理に問題はなかった」と発表。報道機関もそのまま報道しました。

 塚本氏の遺体が奈良県立医大の法医学教室へ運ばれ、司法解剖がおこなわれたのは翌26日のことでした。

 なぜ、死因の発表の後に解剖されるのか? 警察はいったい何を根拠に「病死」と断定できたのか・・・。遺族は不信感を抱きましたが、結果的に同大の羽竹勝彦教授も、死因は『急性心筋梗塞』、つまり「病死」と判断したのでした。

4カ月間勤務の病院で起きた詐欺事件に絡んで

 塚本氏が逮捕されるに至ったそもそもの発端は、2006年、奈良県大和郡山市の医療法人で起こった診療報酬詐欺事件でした。身寄りのない生活保護受給者をターゲットに必要のない医療を行って診療報酬の不正請求を繰り返し、さらには専門外であるにもかかわらず行った手術のミスで患者を死亡させるという事件まで起こしていたことが大問題となった事件です。

 ちなみに、同病院の代表・山本文夫元理事長は2010年、詐欺容疑で逮捕・起訴され、懲役2年6月の実刑が確定しています。

 実は、塚本氏は2006年、この病院に4カ月半だけ勤務していたことがありました。しかし、その間に問題となった肝臓手術に立ち会っていたことで自責の念に駆られ、まもなくこの病院を退職。塚本氏が「業務上過失致死容疑」で突然逮捕されたのは、この病院を離れて4年後のことだったのです。

逮捕後に家族が気づいていた体調の異変

 遺族は、逮捕後の塚本氏の体調変化について、こう振り返ります。

「亡くなる1週間前のことです。留置場に面会に行ったとき、塚本は朦朧とした状態でほとんど話ができず、自分の名前のサインも満足に書けない状態でした。私はその様子が尋常でないことが気になり、帰宅後、警察に電話で問い合わせたほどです。後でわかったことですが、亡くなる3日前には失禁もあり、オムツをあてて取り調べに応じていたそうです。つまり、取り調べ中、すでに体調は相当悪化していたのではないかと思われるのです」

「被疑者留置規則」では、被留置者の身体に異常を発見した場合は詳細に記録し、すぐに警察署長に報告をして医療機関を受診させるなど対応しなければならないと規定されています。あれほどひどいアザができ、体調が悪くなっていることが分かっていながら、なぜそのまま放置したのか・・・。

 そこで遺族は悩んだ末、「警察が勾留中に適切な治療を怠った」などとして、2013年2月、奈良県を相手に9682万円の損害賠償を求めて民事裁判を提起しました。

 一方、訴えられた奈良県側は「死因は急性心筋梗塞死。暴行は一切なく、予見は不可能だった」と反論。そのうえで、右下腿部のアザについては、

『塚本氏は立った状態から床にあぐらをかいて座る際、身体を右側から地面に落とすように座るので、右下腿が床に打ち付けられるようなかたちとなった』

 と、徹底的に抗弁を繰り返したのです。

警察の主張のみを一方的に取り上げた判決

 密室である留置場の取調室、その中で起こったことを遺族が立証するのは大変困難なことでした。

 このとき、苦しんでいた原告側に、死因究明の専門家として協力の手を差し伸べたのが、岩手医科大学法医学講座の出羽厚二教授でした。

 出羽教授はかつて、時津風部屋の暴行死事件で被害者の力士を解剖し、『事件性なし=病死』とした愛知県警の判断を完全に覆した経験を持つ法医学者です。

 出羽教授は遺体の写真だけでなく、塚本氏が死亡前日に受診した病院での検査結果をもとに、死因について次のように結論付けました。

『取り調べ中、頭部、胸部、上肢・下肢に鈍体による殴打で傷害を負い、横紋筋融解症を発症、それが原因となり急性腎不全で死亡した』

 問題視されたのは、酵素の一種であるCK(クレアチニンキナーゼ)の値が1万4280U/Lと異常に高かったことです。CKは筋肉細胞におけるエネルギーの代謝に関連した重要なはたらきをしており、このように大きな変化がみられた場合は筋肉や脳の異常が予想されるため、入院が必要な危険レベルだといいます。しかし、塚本氏はその処置を受けておらず、1日も経たないうちに死亡してしまったのです。

 民事裁判で遺族側は、法医学者のほかに、救急医、循環器内科医、腎臓透析内科医など計7人の医師の意見書を提出。いずれの医師も急性心筋梗塞を否定しました。

 しかし、結局、裁判所はその意見を取り入れませんでした。

 そして2018年7月31日最高裁は遺族側の上告を棄却。「急性心筋梗塞(病死)である」と主張した奈良県警側が勝訴したのでした。

法医学者が「特別公務員暴行陵虐致死」で刑事告発するも・・・

 2016年11月、出羽教授はもう一つのアクションを起こします。

「勾留中に男性が死亡したのは、取り調べ時の暴行による急性腎不全が原因である」として、取り調べに当たった警察官2名を「特別公務員暴行陵虐致死容疑」で刑事告発していたのです。

 しかし、2019年4月、奈良地検はこの2人の警官を不起訴処分にしました。

 この結果に納得できなかった出羽教授は、2019年6月、奈良検察審査会に「不起訴は不当だ」として審査を申し立てましたが、8月28日、同審査会も「不起訴を覆すに足りる証拠がない」として不起訴相当と議決したのです。

 これで、民事、刑事とも、事件はすべて終結したことになります。

 今回の裁判所や検察審査会の判断を受け、千葉大学東京大学の法医学教授を兼務する岩瀬博太郎氏は、こう指摘します。

「アメリカでは暴れる人を警察官が抑えつけている間に死亡した場合、警察とは異なる立場の方が判定し、病死扱いにはしないそうです。警察官がそれで刑罰を受けることはほとんどないそうですが、同じことが起きないために反省を促す効果はあるのだろうと思います。

 日本では、そういうケースは、警察や検察など捜査関係者が検視し、ほとんど病死として扱うのですが、それで改善が望めるとは思えません。奈良の件では、外傷を放置したことが死亡に繋がったことは事実だと思いますので、そのことについては反省し、再発を予防すべきだと思います」

 岩瀬教授の言う通り、留置場での死亡事案は全国各地で発生しています。

 出羽教授が「特別公務員暴行陵虐致死容疑」で奈良県警を告発した2016年だけでも、「留置場、死亡」といったキーワードで記事検索をかけてみると、

『パンツ咥え自殺か、浦賀警察署で勾留中の容疑者死亡』(4月2日
『暴行容疑の62歳男 府中警察署内で転倒し死亡』(4月26日
『八戸署で留置中の40代男性が死亡』(6月2日
大阪府警で取り調べ中に体調不良訴えた女性容疑者、搬送先病院で死亡』(7月18日
『鹿嶋署・勾留中死亡のタイ人は病死か』(7月20日

 このような見出しが次々と現れます。

 しかし、警察はいずれも早々と「自殺」や「事故死」「病死」などと死因を確定し、即刻「対応に問題はなかった」と発表しているのが実情です。

留置管理記録が非開示のまま終結、遺族の怒り

 塚本医師の突然の死から、9年半の歳月が流れました。

『本当の死因は何だったのか・・・』

 あの日からずっと問い続け、真実究明のために闘い続けてきた遺族は今、何を思うのでしょうか。

 奈良検察審査会が「不起訴相当」の判断を下した8月末、遺族は私の問いにこう答えました。

「今でもどうしても納得できないのは、この事件を判断するにあたって一番重要な『留置管理記録』を警察が提出しなかったことです。そして、その内容がまったく検証されないまま幕引きが図られたことです。裁判所も検察審査会も、何を審理したのでしょうか。私たちはいまだに、なぜあれだけのアザが右足に残ったのか、それはいつどのようにしてできたものかが、何の説明も受けていないのです。こんな一方的な判断が許されていいのでしょうか」

 実は、一審判決の直後に遺族側が控訴したとき、私は奈良県警にこんな質問をしたことがありました。

「訴訟の中で、なぜ『留置管理記録』を証拠として提出しなかったのか? 暴行をしていないのなら、一番に裁判所に出すべき証拠ではないのか」

 これに対して奈良県警は、あくまでも一般論と前置きした上で、

「もし裁判所から提出するように言われたら、そのときは拒むことはできない」

 と回答したのです。

 しかし、結局、裁判所もついにその請求を警察に対して行いませんでした。

「まるで小林多喜二の遺体のよう・・・」

 奇しくも遺族にそう言わしめた塚本氏の遺体。

 プロレタリア文学の旗手であった小林は、昭和8年1933年)、特高警察によって逮捕され、取り調べ中の激しい拷問によって亡くなりました。古写真にも残っているのですが、遺体は酷い内出血でどす黒くはれ上がっていました。

 それでも、当時の警察は翌日「心臓麻痺」と発表したそうです。

 86年前と何ら変わらない対応には愕然としますが、遺族はまだあきらめていません。

「なぜ、留置管理記録を私たち遺族に見せることができないのか? なんとかこの記録を開示させる方法はないものでしょうか。引き続き考えていきたいと思っています」

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(写真は本文と直越関係ありません)