米国による厳しい経済制裁とコロナ禍に苛まれるイランだが、仇敵であるトランプ大統領の退場など、先行きに希望の光も見えつつある。イラン核合意への復帰を視野に入れるバイデン大統領の誕生で、米国とイランの関係は改善するのか。テヘランの日本大使館に勤務するペルシャ語専門の現役外交官、角潤一氏が分析する。

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(角潤一:在イラン日本国大使館 一等書記官)

※本稿は、個人的な見解を表明したものであり、筆者の所属する組織の見解を示すものではありません。また、固有名詞のカタカナ表記は、一般的な表記に合わせています。

高揚と安堵が交錯するテヘラン

ウィスコンシン(州をバイデンが)獲ったぞ!」 

 自宅マンションの受付のおじちゃんが、帰宅した筆者におもむろに声をかけてきた。普段は物静かで、政治の話などしたこともない彼が、厳しい制裁とコロナ禍の嵐を一緒に耐え忍んできた同志を見るような眼差しで、興奮気味にまくし立ててくる。

 米大統領選挙が行われた11月3日は、奇しくもイランにおける「反米記念日」と重なった。41年前、イスラム革命(1979年)の熱狂も冷めやらぬ学生らが、テヘランの米国大使館へなだれ込んだ日である。

「誰が米大統領となろうとも、イランには無関係」と要人らがうそぶく一方で、イランの各紙は、米大統領選挙を連日一面トップで報じ、国民は違法とされている衛星放送で、CNNやFox Newsの選挙速報を深夜まで追っていた。

 事前の世論調査によれば、調査に回答した55%の人々は選挙結果がイランに「大きな影響がある」と信じており、その半数以上がトランプ大統領の再選を予想していたそうだ。イラン人は実際には起きてほしくないことを予想し、期待が裏切られた時のダメージを最小化しようとする傾向がある。

 実際のところ、冒頭の受付のおじちゃんを含め、少なくとも筆者の周りにはトランプ再選を願っていた者はいなかった(注1)。バイデン勝利が報じられると、「お祝いのパーティーをしよう!」というメッセージやホワイトハウスから退場するトランプ大統領を描いた画像などが一気にSNS上にあふれ、イランはある種の高揚感と安堵の雰囲気に包まれた。多くのイラン人にとって米国の対イラン政策が実生活に与える影響は大きく、「自分事」として捉えていたのだろう。

 では、バイデン候補の勝利はイランにどのような影響を与えるだろうか?

(注1:ただし、イランの政治家らには「米民主党共和党ともにイランを敵視していることに変わりなく、トランプの方が単純で与しやすい」と主張する者もおり、また一部の反体制的な国民にも「強力な圧力で現体制を倒してほしい」との思いからトランプ再選を願っていた者もいたと思われる)

イラン要人のニュアンスに微妙な差

 ソレイマニ司令官殺害を指示したトランプ大統領ホワイトハウスを去ることとなり、イラン核合意(包括的共同作業計画<JCPOA>、2015年7月)への復帰を視野に入れるバイデン政権の誕生に向け、対米関係改善へのモメンタムが生まれているのは事実である。ただ、イラン要人の発言に微妙なニュアンスの差が生じている。

 ロウハニ大統領(穏健派)は11月8日、「(米国が)過去の過ちを償い、国際社会のルールを尊重し、国際的な約束を遵守する道に戻る機会が生じている」と指摘。11日には、(在イラン米国大使館人質事件当時の)先代の最高指導者、故ホメイニ師の言葉を引用し、「米国が“人間になる”時にはいつでも、イランは(米国を含む)すべての世界との良好な関係を求めている」とし、「制裁解除のための条件が用意されていると見る場合には、その機会を活用するだろう」と、慎重ながらもバイデン政権への期待をにおわせた。

 一方、ハメネイ最高指導者は11月3日、混乱する米大統領選挙の状況を「What a spectacle!」(これは見ものだ!)と揶揄。「イランの対米政策はよく計算された明確なものであり、個人の入れ替わりによって変わるものではない」と釘を刺した。また、11月24日の三権の長らを集めた経済調整最高評議会では、「制裁への対応には、(1)制裁の解除、(2)制裁の無力化・克服という二つの道があり、前者を数年追求したが無益だった」と米国や欧州諸国への不信感をあらわにし、「後者は、最初は困難を伴うが、最終的にはより良い結果が得られる」として、自助努力・忍耐で乗り切ろうという従来の「抵抗経済」の方向性を改めて示した。

 ハメネイ師の発言には、熱しやすく冷めやすいイラン国民の期待値をコントロールし、「浮足立つな」「対米関係や核問題交渉での安易な妥協は許さない」という国内的な引き締め、牽制の意図が汲み取れる。

 ライースィ司法権長(強硬派)も、最高指導者のラインに沿って、「国家の計画を外国人の交代に委ねるのは理性に反する」とし、「国家の権利等の保護は国民の能力にかかっている」と強調。政府批判を強めているガリバフ国会議長ら強硬派の議員が多数を占める国会は、「米国の民主党共和党も“同じ穴のムジナ”であり、“ハサミの二つの刃”である」などと最高指導者に呼応する反応を示した。

 同時に、国会は、20%濃縮ウランの製造など、イランの核開発活動を加速し、米国を含む核合意の対手側に圧力をかける法案(「制裁解除に向けた戦略的措置」法案)を提示(12月1日に可決)しており、ロウハニ現政権に対米交渉や制裁解除で「得点」を許さない構えを見せている。

米・イラン間に開かれた「機会の窓」はわずか2カ月

 このようなイラン国内の温度差に加え、米・イラン間交渉が一筋縄ではいかない障壁が多く存在する。

(1)イランの片想い

 まず、対米交渉や核開発問題などはイランにとって体制の存続に関わる最重要事項だが、バイデン政権の最優先事項はコロナ・経済・人種・気候の4分野だ。イラン側との熱量に差があり、イランのある種の「片想い」となっている。

(2)機会の窓(window of opportunity

「機会の窓」の期間は短い。バイデン次期大統領が、核合意をまとめたロウハニ大統領(穏健派)と任期が重なるのは、来年1月20日の米大統領就任式からイランの次の大統領(注2)が就任する8月までの約7カ月間。これでも十分に短いが、イラン大統領選挙が行われる同年6月18日までとすると5カ月間である。この間、3月中旬のイラン正月(ノウルーズ)休みを経て4月には本格的な選挙キャンペーンに突入することを勘案すると、実質的にはたったの2カ月間しかない。

(注2:連続3選が禁じられているため、現在2期目のロウハニ大統領は再選不可)

 トランプ政権は、残りの任期で「制裁の洪水」(ポンペオ国務長官)を浴びせるとして実際に制裁を発動しており、バイデン次期政権にスタートダッシュを切らせない構えだ。トランプ大統領がすんなり敗北宣言を行わず、政権移行がスムーズに行われていないのも痛手である。

 バイデン政権が就任式直後に核合意への復帰を宣言したり、一部の象徴的な制裁の解除を行うのではないかとの憶測が流れるのも、ロウハニ政権の任期が残り少ないことと、現状では強硬派有利と言われているイラン大統領選挙において、現政権の流れをくむ穏健な候補への追い風を吹かせたいとの思惑が背景にある。

(3)核合意復帰の条件についての認識のズレ、スコープのズレ

 バイデン次期大統領は、「イランが核開発計画に対する核合意による制限措置を遵守すれば、外交を通じて取引し、核合意に復帰する」とし、それを「新たな合意の出発点」に位置付けている。

 これに対してイラン側は、「核合意から一方的に出て行ったのは米国であり、そもそも条件を付けられるような立場にはない」と突き放し、「第一に過ちを認め、第二にイランに対する経済戦争を停止し、第三に来た道を引き返し、約束に従って行動し、第四に(米国の制裁によってイランが被った数百億ドルとも言われる)損害を賠償しなければならない」(11月8日イラン外務報道官)とハードルを上げている。

 ここでとりわけ重要なのが、交渉の対象となる事項の「スコープ」(範囲)である。イラン側は、ミサイル開発や人権、イランの域内活動など核問題以外の事項にスコープが広がることを強く警戒している。ザリーフ外相は11月11日、「JCPOAにこれらの事項が盛り込まれていないのには理由がある。長い長い議論の末に(米国を含む)交渉当事者間の合意により決まったことであり、再交渉することはできない」と牽制している。

 そもそもJCPOA(Joint Comprehensive Plan of Action)は、“包括的(Comprehensive)”共同作業計画と訳されるが、この合意によって、イランを巡る懸案がすべて解決することを意味するわけではない。この合意は、弾道ミサイル開発やイラクシリアなどの周辺地域への介入などを網羅した「グランドバーゲン」ではない。この点を「欠陥」と呼んだトランプ政権の指摘自体は、あながち間違ってはいない(注3)。

(注3:核合意離脱直後の2018年5月にポンペオ国務長官が提示したイランに対する「12項目の要求」は、核開発の永久放棄に加え、ミサイル開発の停止、ヒズボラやハマスなどへの支援の停止、イラクシリアアフガニスタンイエメンへの不介入などを求めており、イランにとっては「丸裸」にされるも同然の内容であった)

 しかし、これらの懸案をすべて一度にまとめることは到底不可能だったであろう。イランの核開発問題のみに焦点を絞っても、問題発覚(2002年8月)から核合意(2015年7月)まで約13年を費やしたのである。そのため、JCPOAには、イランの核開発活動に制約を加え、10年間、ブレイクアウト・タイム(注4)を1年以上にする時間を稼ぎ、そこに外交的スペースを確保し、対話を通じたイランとの信頼醸成や緊張緩和を行うことに戦略的な意義があったと言われる。

(注4:核兵器1つを作るのに必要な核物質を獲得する時間)

 残念ながら、米国の一方的な離脱により、この信頼醸成の機会は失われてしまった。

イランが米国との交渉に応じる「条件」

 それでも、イランが米国との交渉に応じる可能性はあるだろうか?

(1)制裁は効いており、「経済」が喫緊の課題 

 イランの最高指導者は、毎年、イラン正月(ノウルーズ。3月21日頃)に、その年のスローガンを発表している。過去数年間を振り返ると、「抵抗経済:実践と実行」(2016年)、「抵抗経済:生産と雇用」(2017年)、「イラン製品への支援」(2018年)、「生産の活性化」(2019年)、そして、今年3月から掲げられているのは「生産の飛躍」と、いずれも経済が主題であり、外国に頼ることなく、自国の能力を活性化させることで、この苦境を乗り切ろうというものだ。

 しかし、トランプ政権の「最大限の圧力」政策による厳しい制裁と、それに追い打ちをかけるコロナ禍により、もはやこのスローガンだけで現状を打開することに、国民の納得を得られる状況ではないのではないか。数字もそれを如実に示している。インフレ率は41.1%(2019年。2020年4月時点は34.2%、IMF<国際通貨基金>)、現地通貨イラン・リヤルの実勢レートは年初に比べて98%も暴落、実質国内総生産(GDP)成長率も核合意直後の12.5%(2016年)から-7.6%(2019年)、-6%(2020年、IMF予測))へと急降下している。

 制裁は確実に効いている。かつては、制裁の効果を認めたがらなかったイラン政府も、今やその影響が国民生活を逼迫していることを公言し、「経済戦争」(特にコロナ禍においては)「医療テロ」「人道に対する罪」だと米国を声高に非難する方向に舵を切ったようだ。2020年3月には、米国が強い影響力を有するIMFに対して、革命後、初めて緊急融資(コロナ対策のための50億ドル)を要請している。

(2)そのほかの要因

 しかし、それだけではイランは動かない。

 JCPOAの前身となる「ジュネーブ合意」(2013年11月)を可能にした背景として、中東研究センター副センター長の坂梨祥氏は、(1)米国の強力な経済制裁に加え、(2)米国(オバマ政権)側の歩み寄りと、(3)イラン側の核開発の進展の3点を挙げている。

 これを現状に当てはめてみよう。先に述べたとおり、(1)トランプ政権による厳しい制裁はイランにダメージを与えており、(2)またバイデン次期大統領はJCPOAへの復帰を公言、(3)さらに直近の国際原子力機関(IAEA)報告(11月)によれば、イランの低濃縮ウラン貯蔵量は2442.9kgで、核合意による上限の約12倍に達している。3条件が揃っていると言えないだろうか。

 これらに加え、一度核合意を達成した実績と成功体験があり、短命に終わったが、2015年当時の高揚感、日本や欧州諸国の政府高官、企業による「イラン詣で」の活況をイラン国民はよく覚えている(注5)。東京・南麻布にある在京イラン大使館のナショナルデー・レセプションが大使公邸に入りきらないほどの盛況ぶりだったことを筆者も記憶している。

(注5:IMFによれば、2015年に-1.6%だった実質GDPは、先述のとおり、同年夏の核合意による経済制裁の緩和を受け、2016年には12.5%の急成長を遂げている)

ハメネイ師は「核合意が死んだ」とは言っていない

 その一方で、現状の閉塞感、とりわけコロナの巨大な第三波(注6)が、元来パーティー好きで、人と人との距離感の近い「濃厚接触」民族であるイランの人々に、陰鬱な影を落としている。あるイラン人留学生は、訪日した初日、イラン国籍であるがゆえに日本の銀行で外貨両替すら断られたという。「この時ほど世界からの孤立感を味わったことはない」と悲しげに述べていた。

(注6:11月下旬、1日の新規感染者は1万4000人を超え、死者は500人に迫り、11月21日以降は全国に夜間の外出禁止令などが出されている)

 厳しい制裁を科していたトランプ大統領がいなくなることで、国民の不満や批判の矛先がすべてイランの体制側に向けられる危険性もある。国民の要求が、来年6月に予定される大統領選挙に向けて大きなうねりとなる可能性もある。

 ハメネイ最高指導者は、欧米諸国へ手厳しい非難を浴びせているが、一方で、一度も「核合意は死んだ」とは言っていないイランは米国の制裁強化に対抗し、核合意で約束した核不拡散上の義務を段階的に縮小・放棄しており、その最終段階の発表(1月5日)直前に、国の英雄であるソレイマニ司令官が米軍のドローン攻撃により殺害(1月3日)されたが、その時ですらIAEAとの協力継続を宣言し、核合意から離脱はしなかった。核合意は、トランプ政権による一方的な離脱とイランに対する最大限の圧力政策下でも生き続け、合意の「土台」は残っているのである。

 また、核合意を可能にした「人的なつながり」も重要だろう。バイデン次期大統領とザリーフ外相(核交渉責任者)の長年の親交は有名である。バイデン政権の国務長官候補にブリンケン元国務副長官、大統領補佐官(国家安全保障担当)候補にサリバン元副大統領補佐官(国家保障担当)と、JCPOAを支持し、かつてその交渉に関わった面々の名前が挙がっている。E3+3(英仏独+米露中)という交渉の枠組み、対話のチャネルも既に存在する。

 もちろん、対米関係や核開発問題はイランの安全保障に関わる党派を超えた問題である。この点、強硬派の方が国内を抑えられるため、より柔軟性を示すことができ、米国との合意に達することができるとの指摘があるが、どうだろうか。交渉の手法だけでなく、人的なつながりやケミストリー(相性)も重要と筆者は考える。現役の外交官として、交渉に際しての最終的なレッドラインは同じでも、交渉の前線に立つ担当者の手腕や相手方とのケミストリーで結果が大きく変わり得ることは容易に想像できる。

 しかし、バイデン政権が、一部で指摘されるような、トランプが科した制裁をレバレッジにイランのミサイル開発や地域における活動にスコープを広げた新たな合意「JCPOA2.0」を最初から目指そうとすれば、たちまち暗礁に乗り上げてしまうだろう。これは、「もし敵(米国)に対して後退すれば、敵は一歩ずつ近づき、要求を上げ、イランは自国を防衛する手段も諦めざるを得なくなる」という、ハメネイ最高指導者がかねてから予言していたとおりの展開となるからである。

イランは「戦略的忍耐」を保てるか?

 イランを巡っては、この夏以降、その安全保障の根幹を揺るがしかねない事件や出来事が立て続けに起きている。

 ナタンズの核施設の爆発(7月2日)を含むイラン国内での不審な火災や爆発事件(6~7月)、米国の仲介によるイスラエルアラブ諸国の国交正常化(アラブ首長国連邦UAE>:8月13日バーレーン9月11日スーダン10月23日)、イランが匿っていたとされる、国際テロ組織アルカイダのナンバー2幹部の暗殺事件(8月。11月13日付けのニューヨークタイムズが報道。イラン側は否定)、トランプ大統領によるイランの核関連施設への攻撃検討(11月16日付けのニューヨークタイムズが報道)、核開発の中心人物とされるイラン人科学者の暗殺事件(11月27日)等々、枚挙にいとまがない。

 イランは、体制要人が時に激しいレトリックを使うことなどから、一般に過激で暴走しかねない国だと思われるかもしれない。しかし、このような中でも、イランは「敵の挑発に乗ってはならない」と“戦略的忍耐”を続けている。イランが持ち前の柔軟性と現実的なバランス感覚を発揮し、世紀末イラン暦1400年)の国難をどのように乗り越えていくのか、目が離せない日々が続く。

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米大統領選の状況を「What a spectacle!」(これは見ものだ!)と揶揄したハメネイ最高指導者(写真:Abaca/アフロ)