(角潤一:在イラン日本国大使館 一等書記官)

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※本稿は、個人的な見解を表明したものであり、筆者の所属する組織の見解を示すものではありません。また、固有名詞のカタカナ表記は、一般的な表記に合わせています。

外務省イラン人」と呼ばれたら、あなたは嬉しいだろうか?

 20年以上前、外務省入省に際し、なんの因果か、「中東の大国イランの専門家」になるようにと命じられ、ペルシャ語を学ぶことになった筆者(注1)。ある国・地域・言語を専門とする外交官にとって重要なのは、ツールとしての語学の習得のみならず、その国・地域の文化や慣習、これらの人々が何を大事にし、どういったことが彼らの琴線に触れるのかを皮膚感覚で理解することだ。

 私は、最初のイラン勤務(2000年~2004年)後、外務本省でのイラン担当、イランを東西から挟むアフガニスタンイラクなどでの勤務を経て、2019年6月の安倍総理(当時)のイラン訪問にリエゾン(連絡調整役)として同行。そこで里心がついたのか、その年の10月、約15年ぶりにイランに「戻った」。ここで、改めて肌で感じる「イラン」という国、また「イラン人像」について、少し触れてみたい。

(注1:外務省員には、特定の言語を専門に指定される職員も多く、特に筆者のような専門職員は、その地域のスペシャリストとなることが期待される)

 皆さんの抱くイランのイメージはどういったものだろう?「灼熱の太陽と砂漠」「厳しい宗教戒律」「テロ、戦争、悪い治安」などだろうか?

 これらはどれも一面正しいようで、必ずしも正確ではない。

 いわゆる「砂漠」は国土の中央部から東南部に広がるが、実際のところ、筆者はまだ一度も見たことがない。市内でラクダを見ることもない。一方で、筆者の暮らすマンション(首都テヘラン北部)の窓からは、富士山を超える標高4000m級の山々を雪が覆っている。ペルシャ湾でダイビングができる時期に、テヘラン近郊ではスキーやスノボが手軽に楽しめる。

 イスラム教シーア派を国教とするが、イスタンブールダマスカスに比べ、テヘランモスクは少なく、禁酒国でありながら、手作りのブドウ酒を自慢する人もいれば、きらびやかなパーティーも有名だ。真っ黒なチャドルという大きな布で全身を覆う女性もいる一方で、後述のとおり、髪の毛を覆うスカーフ(ルーサリー)を首にかけただけの女性すら見られる。

 東西の隣国イラクアフガニスタンと混同されている向きもあるかもしれないが、イランイラク戦争終結(1988年)以降、イラン国内が戦火に見舞われたことはない。「警察国家」ということかもしれないが、治安も落ち着いている。2020年11月のイラン人科学者の暗殺などで注目されたが、国内でのテロ事案の発生は極めて少なく、普通の配慮をしていれば、まずまず安全な国と言えるだろう。

 15年ぶりにイランに再赴任して、「イランはどう変わったか?」と聞かれると、筆者は以下の3つを挙げる。

15年ぶりのイランで気付いた3つの変化

(1)通貨(Iranian rial)のゼロの数とキャッシュレス社会化

 2003年頃まで、1ドル約8000リアルである程度安定していたが、現在は、1ドル25万リアル以上と大幅に価値が下落している。また、驚くほどデビットカードやネット経由の送金が普及し、日本よりもキャッシュレス化が浸透。「Snapp!」など、イランUberともいえるアプリも普及し、配車やフードデリバリーなどが携帯一つで済んでしまう。

(2)ショッピングモール、カフェ、レストランなどの西欧化

 当時、モールはできつつあったが、「Coming Soon」の看板ばかりが目立った。カフェもあったが、コーヒーはネスカフェのインスタント。西欧風のレストランも皆無ではなかったが、シェフが写真を見て想像で作ったかような見よう見まねの「創作料理」が大半であった。

 しかし、今では、テヘランや地方の大都市にはたくさんのモールが建ち、豆にこだわったお洒落なカフェやパスタがアルデンテで出てくるレストランがある。写真に撮って切り取ると、一瞬ヨーロッパの街角かと見まがうほどである。

(3)女性の服装の変化

 イスラム教の戒律から、女性は公共の場所では、髪や身体の線を隠すようにとされている。前回在勤時も、改革派のハタミ政権(1997年~2005年)だったこともあり、ルーサリーがどんどん頭頂部までずり上がり、申し訳程度に乗っかっているだけの若い女性を見ることはあったが、今や完全にずり落ち、首にかけているだけの女性を見た時には驚いた(注2)。

(注2:もっとも、これはテヘラン北部でのことであり、イラン全体では一般的とはいえない。また、イランの体制がそれを完全に容認しているわけでもなく、女性側はTPOに応じてしなやかに対応している。なお、2月20日には最高指導者が、アニメのキャラクターにもヘジャブ(女性が頭や身体を覆う布)を着用させるべきとの見解を示している)

 こう言った後、最後に、「それでも、イラン人は不変だ」と答えると、多くのイラン人は、嬉しそうな顔をする。

 筆者も魅了された「ペルシャ絨毯」を間近で見れば、その国民性の一端を理解できるかもしれない。

 シーア派の聖地コムで丹念に手織りされる、天然草木染め、シルク100%の最高級絨毯。その精巧さ、緻密さから、イラン人の勤勉性、粘り強さ、忍耐性、執念深さ、自らの文化や伝統に対する誇り、プライドの高さが伝わってくる。

なぜイラン人は制裁耐性が高いのか?

イランの人々は、耐え忍ぶのが好きだ」「抵抗が似合う」などというと、多くのイラン人から怒られるかもしれない。好むと好まざるとにかかわらず、そのような境遇に陥ってしまっているのだと反論されるかもしれない。

 しかし、筆者のような“イランウォッチャー”からすると、カルバラーの悲劇(注3)から刻まれたシーア派のDNAなのか、イスラム革命直後に「押しつけられた戦争」、イラクからの侵攻に耐え忍んだ記憶からか、イランの人々は自らを抑圧される側に置き、悲劇のヒーロー・ヒロインとなり、強大な敵、外からの圧力に抗おうとしているように見える。

(注3:680年、イラクの都市クーファのシーア派がフセイン(第3代イマーム)をカリフに押し立てて反乱を起すという動きを察知したウマイヤ朝カリフのヤズィードは、たった72人のフセイン一行に対して3000の大軍を派遣し、虐殺したとされる事件)

 イランにとってみれば、超大国米国との対立関係は、遡れば、少なくとも、国民的人気の高かったモサデグ政権のCIA(米中央情報局)による転覆(1953年)の記憶に始まり、イスラム革命後の米国大使館占拠事件(1979年)、「二重の封じ込め政策」(クリントン政権)を経て、9・11テロ事件(2001年)後のアフガニスタン戦争及びイラク戦争ブッシュ政権)へと続く。イランの仇敵タリバーンとサダム・フセインをあっという間に蹴散らしたアフガニスタン及びイラクにおけるレジーム・チェンジのための戦争を目の当たりにし、米国がついにイランに照準を合わせていると感じたものである。そして、先日まで「最大限の圧力」(トランプ政権)に晒され、その「最強の経済制裁」は今も解除されていない。これでは、まさに抵抗せざるを得ないであろう。

 一方で、イランを「脅威」と見る周辺国からは、地域大国イランの地域における一挙手一投足が「介入」、「覇権追求」と映る。

 中東地域を「満員電車」に喩えた悪友がいた。ギュウギュウ詰めの満員電車の真ん中に、図体の大きな男(イラン)が立っている。その男は押しつぶされないようにと肘を張って周りからの圧を押し返そうとするが、その男の周りに立っている小さな乗客たち(湾岸などの周辺諸国)からすれば、大男が固い肘でグイグイと押し込み、「その場所を空けろ」と脅されているように映る。

 経済制裁への耐性についても、イラン人の忍耐強さが見てとれる。

 テヘラン北部の高級ショッピングモールも、テヘラン中心部の大バザール(市場)もモノであふれかえり、コロナ禍を忘れたかのような賑わいをみせている。「これが本当に長年経済制裁に苦しめられている国なのか?」といつも不思議に思う。

 最高指導者は、外国に頼ることなく、自国の能力を活性化させることで、この苦境を乗り切ろうと、「抵抗経済」のスローガンを唱え続けている。ある種「制裁慣れ」したイラン経済は、外国製品が途絶えた穴を、それなりのモノを自国で生産して埋めてしまう逞しさがある。

 「イラン経済は崩壊直前」「もってあと半年」などと言われて久しいが、毎日「閉店セール」の看板を出している大阪の商店のように、いつまでも潰れずに続いている。辛抱強いイラン国民からは、口を開けば物価高や生活苦についての愚痴や文句が出てくるが、暗い中にもユーモアがあり、「明日もなんとかなるさ」と何の根拠もなく楽観している人が多い気がする。

 かつて「おしん」が最高視聴率90%を超える大ヒットを記録したというが、イランイラク戦争後の生活苦に立ち向かう自らの姿と重ね合わせていたのかもしれない。

イランでキャビアの消費と輸出が可能になったワケ

 イラン人は、誇り高い民族である。自らの文化や長い歴史を誇りに思っている。

 世界遺産ペルセポリスの神殿のレリーフには「諸王の王」への世界各国から貢ぎ物を受ける図が描かれている。2500年前に古代オリエント世界を統一したアケメネス朝ペルシャ帝国は、「世界の中心」として栄華を極めていたのである。さらに、サファヴィー朝の都(1598年~1736年)であったイスファハンは、その繁栄と世界中から様々な品物が集まったことから、「世界の半分」と讃えられた。

 イラン人の高い言語習得能力や世界各地に溶け込んでいく国際性に、このような過去が関係しているのかもしれない。また、こうした彼らの栄光の歴史が、イラン人の中に見られる、自らを中心に捉える思想や周辺国を下にみる傾向などに、少なからず影響を与えているだろう。

 そして、イラン人は、自らの「権利」を重視し、それが不当に剥奪されることに強い抵抗感を示す。

 世界中の耳目を集めるイランの核開発問題も、「なぜP5(安保理常任理事国)やインドパキスタン北朝鮮イスラエル核兵器を保有でき、一方で平和的な利用を追求しているイランには制裁が科されるのか?」「原子力を平和的に利用する最先端の科学技術を追求する権利はイランにもあり、濃縮の権利が不当に剥奪されることは受け入れられない!」との主張は、イラン人のナショナルプライドを刺激し、一般の国民にすんなりと受け入れられるものだろう(注4)。

(注4:これは、イランでは、核兵器を含め、無辜の民を無差別に殺戮する大量破壊兵器ハラーム<宗教的な禁忌>としていることとも全く矛盾しないと整理されている)

 イラン人は、硬直的な原則主義者ではない。高い理想を抱き、またメンツや体面を重んじつつも、同時に現実と折り合いをつける柔軟性を持ち合わせている。「キャビアの逸話」は、イラン人の柔軟性を語る時、筆者が大好きな話の一つである。

 イランの主要輸出品であるチョウザメの卵キャビアは、イスラム革命後、「鱗がない魚は食べてはならない」とする宗教戒律との関係で大問題となった。この時、イラン政府は、聖職者(イスラム法学者)と動物学者からなる委員会に再調査を依頼した。その結果、チョウザメには「特殊な鱗」があることが確認されたと結論づけ、晴れて消費や輸出が可能となったのである(注5)。

(注5:筆者は、先日、魚屋からチョウザメを買ってきて、自宅で実際に解体してみた。すると、魚体の表面の一部にウロコなのか、骨なのか、確かに「特殊な鱗」があった。調べてみると、このウロコの形が蝶々に似ているために、日本では「チョウザメ」と名付けられたといわれているそうだ。)

 宗教的な戒律が厳しいイメージから、「イランでは男女が一緒にスポーツができますか?」と聞かれることがある。そう、確かに制約はある。しかし、一つ例を挙げてみよう。

 20年前、スキー場のリフトを待つ列は男女に分けられていた。しかし、両者を隔てるのは一本の縄のみ。当然、リフトを待っている間に互いに話をするもの自由であるし、実際、携帯電話番号の交換もそこで行われていた。リフトには男女交互に乗り、(家族以外は)男女一緒に乗れなかったが、リフトを下りてしまえば全く自由で、知り合ったばかりの男女が仲良くシュプールを描いて滑り降りてくることもざらであった。現在は、その1本の縄もなくなり、一緒にリフトやゴンドラに乗り込んでいる。

 話は一気に飛躍するが、トランプ政権による「最大限の圧力」に対し、徹底した「戦略的忍耐」でしのぎ切ったことも、イランの現実主義的な一面をよく示している。2020年1月に国民的英雄であったソレイマニ司令官を米軍のドローン攻撃で失い、さらにはイラン国内で核施設の謎の爆発事件(7月)、核開発の父とされるイラン人科学者の暗殺(11月)など、これでもかというほどの圧力に晒されても、イランは、メンツを重んじて迂闊に反撃に出れば自滅を招くと判断し、「戦略的忍耐」と呼ぶことでギリギリの体面を保ちつつ、じっと耐え忍んだ。

論理性に長けたイラン人の能力

 イラン人は、論理的な議論が好きな人々である。試しに、イランの外交的立場に関する説明に一度耳を傾けてみてほしい。そこには、こじつけのようなものを含め、いつも彼らなりのロジックがある(注6)。外交交渉において、相手を説得する際に、このロジックの有無と説得性は極めて重要である。

(注6:これは、当然のことながら、イラン側の主張が常に正しく論理的であると言っている訳ではない)

 現在、その行方が注目されているイラン核合意(JCPOA)についても、イラン側が20%濃縮ウラン製造を再開したことに対し、「イラン、核開発に強硬な姿勢」などと報じられるが、イラン側からすれば、同合意のパラグラフ36の規定(紛争解決メカニズム)に基づく正当な対応であると、その主張の根拠を示している。

 筆者が、ニューヨークの国連代表部に勤務していた頃、多くの外交団から、イラン人外交官は極めて優秀であると高く評価されていたが、それは、こういったロジックを組み込んだ議論がマルチの場で強みを発揮しているのかもしれない。 

 イランは、「行く前と行った後で最も印象が変わる国」と言われるそうである。たしかに、一般に報じられるニュースから想像する国のイメージは、実際に、人なつっこく、距離の詰め方が早く、客人をもてなすことに必死なイラン人に、直に接することで大きく変わるかもしれない。

 このコロナ禍がおさまった暁には、是非、一度御自身の目で確かめてほしい。

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