※本稿は、個人的な見解を表明したものであり、筆者の所属する組織の見解を示すものではありません。また、固有名詞のカタカナ表記は、一般的な表記に合わせています。
「強硬派のライシ司法府長が約60%の得票で圧勝。投票率は50%前後」
これは、イラン大統領選(6月18日投票)を前に、筆者が5月下旬に準備していた寄稿文の一部としてドラフトしていた「予報」である。そして、実際の選挙結果は、ライシ候補が約62%の得票率で勝利、投票率は約48.8%であった。だが、これは、筆者の見立てが的中したことを後付けで自慢したいのでは全くない。
多くの識者がイラン大統領選挙の結果を「予想通り」と論評している。しかし、世の“イラン・ウォッチャー”は忘れてはならない。我々は、またもや豪快に、そして早々に予想を外していたのだ。
まず、そもそも、前回(2017年)の大統領選で敗北を喫しているライシ師は、次期最高指導者の座を狙うため、あえて連敗するリスクを冒してまで、国民の批判に直接さらされる大統領職を目指すことはないのではないかとの見方も強かった。
ライシ師の出馬自体もある種のサプライズであったが、これにより、多くの識者は、満を持して登場したライシ師を中心とする強硬派に対し、ロウハニ政権を引き継ぐジャハンギリ第一副大統領と、穏健派や改革派の支持をまとめ得る可能性を秘めたラリジャニ最高指導者顧問が挑む構図を描いていた。
しかし、5月25日、「憲法擁護評議会」(注1)による資格審査を通過した7名の大統領候補の中には、「対抗軸」と目された現職の第一副大統領のジャハンギリ氏や12年間も国会議長を務めたラリジャニ氏の名前はなかったのである。
これにより、選挙戦は極めて一方的になり、全く盛り上がりに欠けるものとなった。街中に見られる選挙ポスターの量や種類、コロナ禍では禁止されていたはずの集会や地方遊説の規模など、ライシ師が他の候補を圧倒した。「Election(選挙)ではなくSelection(選抜)」だと非難を浴びた憲法擁護評議会の資格審査に対し、ライシ師自ら「より競争的な選挙になるように働きかけている」と余裕の発言を行い、自身の選挙ポスターを撤去するようにとすら指示したのである。
注1:憲法擁護評議会(GC)は民主的なコントロール外にあり、選挙プロセスにおいて、最高指導者の意向を汲み取って立候補者を事前審査でふるいにかけると指摘される。イランの大統領選挙の仕組みについては、拙稿(抵抗か協調か、イランの民意を左右する米大統領選 半年遅れで訪れるイラン大統領選に注目すべき理由)も参照願いたい。
では、ライシ師とはいったいどんな人物なのか?
ライシ氏の飛躍を支えた「ハメネイ推し」
ライシ師は、ハメネイ最高指導者も縁の深いシーア派の聖地マシュハド出身だ。5歳の時に聖職者であった父を亡くし、その遺志を継ぐように勉学に励んだとされる。自らを「孤児として貧困の中で育った」と折に触れ述べ、司法府長に就任後も地下鉄で通勤するなど「庶民派」であることを強調している。
あるインタビューで余暇の過ごし方を聞かれた時も「仕事最優先」と回答。趣味はシーア派聖地への巡礼やコーランの解釈研究を挙げるなど、極めて敬虔かつ真面目な人柄をうかがわせる。
その一方で、前回の大統領選挙では全身タトゥー入りのイラン人著名ラッパー、タタルー氏(※逮捕歴あり。今次選挙でもライシ師への支持を表明したとされる)と面会したり、今回の選挙期間中もテヘラン市内の西洋風の服飾品店を訪れた動画を配信したり、若い女性バイクライダーの一団を選挙活動に活用したりと、「寛容さ」のアピールなのか、違った一面も示そうとしている。
一貫して司法畑を歩み、近年まで政治的には無名に近かったライシ師が、急速に脚光を浴びるようになったのは、特に過去5年間のハメネイ最高指導者による「推し」によるところが大きい。
2016年、ハメネイ最高指導者により、マシュハドにあるイランの最重要巡礼施設、イマーム・レザー廟の財団管理者に抜擢される。翌2017年には大統領選に強硬派の統一候補として出馬し健闘するも現職のロウハニ大統領に敗れ次点に終わる。しかし同選挙後、再びハメネイ最高指導者により、公益評議会メンバーに任命され、そして2019年には三権の長の一角である司法府長に据えられている(なお、同じ年の3月には、最高指導者を任免する機能を有する専門家会議のNo.2である第一副議長に当選している)。
ライシ師は、マシュハド時代からソレイマニ革命防衛隊コッズ部隊司令官との親交があったとされ、同司令官の葬儀では、ハメネイ最高指導者の隣りで号泣している姿が国営放送に映し出された。大統領選挙戦においても、革命防衛隊によるライシ師支持が垣間見える。デフガン最高指導者軍事顧問や革命防衛隊が経営する複合企業体であるハタモル・アンビアのサイード・モハンマド前総裁など、注目された革命防衛隊出身の大統領候補者は、選挙戦離脱後にライシ師支持を表明している。
三権のすべてを強硬派が抑えたイランの今後
革命防衛隊資本とされる映画製作会社は、コロナ禍でヒット作を連発している。スパイドラマ「GANDO」は、西側に対して融和的なロウハニ政権の姿勢を徹底的に非難し、敵の浸透を防ぐ革命防衛隊諜報機関のイメージアップに一役買っているが、その製作責任者はライシ師の選対本部の幹部となった。また、政府高官らの経済腐敗や汚職と闘う司法機関の活躍を描いた「AGHAZADEH」シリーズは、まさに司法府長として司法改革、汚職追放を宣伝してきたライシ師の姿と重なる。
今回の選挙では、国民の投票を促すポスターに故ソレイマニ司令官が多用された。米軍のドローン攻撃により爆殺された際にちぎれた血だらけの同司令官の手がイラン国旗柄の投票箱に一票を投じている図柄など、おどろおどろしいものも街中に見られた。ライシ師もソレイマニ司令官に抱擁され、接吻を受けているポスターを掲げていた。
次期大統領として職務に専念したいとするライシ師の申し出を受け、ハメネイ最高指導者は7月1日、早々に後任人事を発表し、司法府の次長であったエジェイ師(強硬派。アフマディネジャド政権時の情報相)をスライド人事で新たな司法府長に任命した。これにより三権は全て強硬派によって占められる「一枚岩」が完成した。
また、あまり注目されていないが、大統領選挙と同時に実施された3つの選挙、すなわち市評議会選挙(注2)、国会補欠選挙及び専門家会議補欠選挙でも、強硬派が総なめにしている。
注2:首都テヘランの市評議会選挙では、政治経験のない故ソレイマニ司令官の娘ナルゲス・ソレイマニが第3位で初当選を果たしている。
6月19日、ガリバーフ国会議長とサラミ革命防衛隊総司令官も、当確したライシ師への祝辞として、国民の問題解決に向け行政府との間で「相乗効果」を発揮していくと発言。本来、行政府を監視する役割を担う立法府も、ハメネイ師直轄の軍事機構も、ライシ新政権と一丸となって進む決意を示している。
それでは、ライシ新政権でイランの政策はどのように変わっていくのだろうか。まずは、外交・安全保障政策である。
(1)外交・安全保障政策
イランの外交安保政策を考える上で、ザリフ外相が連呼していた「Meidan hakeme!(メイダン・ハーケメ)」との声が耳から離れない(注3)。直訳すれば「戦場が支配している(the battlefield rules)」の意で、イラン・イスラム共和国では「軍事」が国の政策を決定しているとして、革命防衛隊、とりわけソレイマニ司令官に対するフラストレーションを赤裸々に語ったものである。
注3:2021年4月下旬、ロウハニ政権のオーラル・ヒストリー・プロジェクトとして、内部記録用に行ったインタビューの音声が外部に流出。この中でザリフ外相が繰り返し述べていた言葉である。
イランの安全保障の根幹に関わる最重要事項は、その名のとおり、国家安全保障最高評議会(SNSC)で扱われ、ハメネイ最高指導者のお墨付きを得て決定されるとされる。このため、ライシ新大統領の登場により、これまで進められてきた方針がにわかに180度転換される可能性は低いと見られている。ライシ師は、当選直後の記者会見で、核交渉継続の姿勢を示しつつも、それに縛られないバランス外交、特に周辺国や「東方」との関係強化を打ち出している。
しかし、SNSCでは大統領が議長を務め、三権の長、最高指導者の名代2名、軍、治安・外交・内政・経済の代表者の計10名による投票で議決される。ここから、国際協調路線を推進してきたロウハニ大統領やザリフ外相(核交渉責任者)が退場すれば、今後のSNSCにおける意思決定の方向性が変わってくる可能性がある。より「戦場マインド」が支配的になる傾向は避けられないかもしれない。
ウクライナの民間航空機を撃墜させた「疑心暗鬼」
また、イランの強硬派には対米不信が極めて強いといわれる。トランプ前大統領による剥き出しの「アメリカ・ファースト」、イランに対する「最大限の圧力」政策、とりわけソレイマニ司令官の暗殺やイラン核合意からの一方的な離脱は、その不信をさらに深めた。2020年1月8日、イランが駐イラク米軍基地に弾道ミサイルを撃ち込んだ夜、米軍から反撃を恐れた革命防衛隊は、ウクライナの民間航空機を誤って撃ち落としてしまったほどだ。
一方で、米国側もその約1年後、今年の1月6日、ワシントンD.C.のキャピトル・ヒル(連邦議事堂)がトランプ支持者に襲撃された際、スーザン・コリンズ米上院議員は「イランが攻撃してきたと思った」と述べた。筆者はこの認識のギャップの大きさに愕然としてしまった。この時、イランはトランプの「最大限の圧力」政策を「戦略的忍耐」でしのぎ、トランプの退場、バイデン新政権誕生まであと約2週間というところだったのである。
このような疑心暗鬼が巣くう米・イラン間の深い溝を、果たしてライシ新政権は埋めることができるだろうか?
周辺地域との関係では、もう少し楽観的になれるかもしれない。先述のとおり、ライシ師は、外交面で特に近隣諸国との関係強化を唱えている。
サウジとの関係構築に動き出したイラン
最近表面化したイラクの仲介によるイランとサウジアラビアの対話は、当面継続されるものと見られる。これは、どちらかといえば、サウジとの対話にオープンな姿勢を示していたイラン側に対して、サウジ側が慎重ながらも「ポスト・トランプ」の環境に適応しようとしている動きのように映る。
この対話で主要議題と目されるイエメンは、最も合意しやすい事案かもしれない。先のザリフ外相の流出したインタビュー音声でも、ソレイマニ司令官との間で、「イエメンからは何も得ることができないため、可及的速やかに紛争を終わらせることで意見が一致していた」と述べている。
8月末の米軍の撤退完了期限が迫る中、アフガニスタンを巡る動きも注目される。この「力の真空」を誰が埋めるのか、周辺国は虎視眈々と狙っているだろう。
数百万人ともいわれるアフガン難民を国内に抱えるイランにとり、アフガニスタン情勢は国の安保に関わる極めて重要な問題である。かつての宿敵タリバンとの「リセット」、関係構築も着々と進められている。
1998年、タリバンはアフガニスタン北部の主要都市マザリシャリフのイラン総領事館を占拠し、イラン人外交官10人とジャーナリストを殺害した。激怒したイランはアフガニスタンとの国境地帯に軍を展開し、軍事衝突寸前まで悪化する事態に至った。それから20年あまり、今では「かつてのタリバンと今のタリバンは違う」との主張も聞かれ、イラン政府がタリバンの代表団をテヘランに公式に招待するなど、筆者にとっては隔世の感である。
アラビア語に堪能で、主にイラクやシリア戦線で活躍した故ソレイマニ前司令官に対し、後任のカーニ現司令官の主戦場はアフガニスタンであったとされる。今後、その影響力拡大に向けてより積極的に動くかもしれない。
(2)経済
8月から船出するライシ新政権にとって、制裁とコロナ禍で疲弊した国内経済の救済が最重要課題であることは間違いない。しかし、ハメネイ師の「抵抗経済」路線をなぞる同師の主張からは、どのような処方箋が用意されているのか見通すことは難しい。
ハメネイ最高指導者は、かねてより、「外国に依存することなく、自国の能力を活性化させることで、あらゆる困難を乗り越えることができる!」と国内を鼓舞している。人口8400万のマーケットと一定水準の工業力を有するイラン経済は、ある種「制裁慣れ」しており、外国製品が途絶えた穴を自国で生産したそれなりのモノで埋めてしまう逞しさがある。制裁を回避し、すり抜ける術も身につけてきている。
国際通貨基金(IMF)は4月、イランの実質国内総生産(GDP)成長率を1.5%のプラス成長と発表し、2021年は2.5%、2022年は2.1%のプラス成長を予測している。これは、トランプ大統領(当時)による核合意の離脱と経済制裁の強化によって大幅に落ち込んだ反動(2018年:マイナス6.0%、2019年:マイナス6.9%)とも見られるが、イラン国内では「抵抗経済」路線の奏功だと自信を深めている向きもあるだろう。
必ずしも制裁解除を望んでいないイラン人
これは、外国資産や外貨での収入があるイランの友人の偽らざる告白だ。過去1年半の間に現地通貨リアルの価値は半分以下(一時は3分の1にまで下落)になった。国内の物価高にあえぐ一般国民とは逆に、この友人にとっては、自らの外貨収入のイランにおける価値は倍増したことになる。しかし、核合意の再生を通じて制裁が解除されれば、市場はリアルの価値を戻す方向に動くため、それを危惧しているのである。
別の悪友は長年の経済制裁に耐える中で、「ボンヤード」と呼ばれる各種財団(注4)や経済マフィア化した革命防衛隊のコングロマリット「ハタモル・アンビア」など、この状況に適応しつつ、制裁ビジネスにより蜜を吸う「革命貯金箱」体制ができあがっていると指摘している。
つまり、イランは「米国による経済制裁は悪」と非難しつつも、必ずしもその全面解除を本当に望んでいる者だけとは限らないのである。
注4:最高指導者直轄の半官半民の“慈善団体”で非課税。GDPの20%~50%を占めるとも言われる。ライシ師が管理人を務めたマシュハドの「アースターネ・コッズ財団」はイラン最大規模の財団といわれる。
このように、諸外国、特に西側との交易を推進することを阻む要因は多い。しかし、それなくして国内経済の再生は困難であることも事実である。
国際金融協会(IIF)は、6月末、イラン経済の大きな飛躍には、やはり核合意再生を通じた制裁解除が不可欠との見方を示している。IIFの発表によると、2015年当初の条件に戻す合意に達すれば、2021年のイランの実質GDPは3.5%増、2022年は4.1%、2023年は3.8%成長となる可能性があるとした。
さらに、これはかなり野心的であるが、2015年合意以上の包括的な新核合意が成立した場合、今年のイランの実質GDPは4.3%増加し、2022年には5.9%、2023年には5.8%もそれぞれ増加すると試算している。
内政に目を転じてみよう。
強硬派が占める国会の声をどう受け止める?
(3)内政
ライシ師は、その敬虔なイメージとは裏腹に、これまでも女性の社会進出や国民の音楽活動などに肯定的な発言も見られる。選挙キャンペーンでは、インターネット規制への反対を表明するなど、ソフトなイメージを打ち出している。
一方で、昨年2月の選挙で大勝し、強硬派が大多数を占める国会(※一院制。定数290議席のうち、200人以上の強硬派議員がライシ師支持を鮮明にしている)は、早くも幾つかの強硬な法案を準備しているようだ。
例えば、WhatsAppやInstagramなど外国製のアプリやネット規制を回避する仮想プライベートネットワーク(VPN)の利用を禁止する案や、対イラン制裁に荷担した諸外国をイランへの投資から除外する案などが当地の紙面を賑わせている。ライシ師自身の考えがどうあれ、このような国会から「相乗効果を」と迫られる可能性はあるだろう。
イラン国民の間では、かつてのアフマディネジャド政権(強硬派)期のような、国民の自由への締め付け、例えば女性のヘジャブに代表される規制が強化されるのではないかとの警戒感も根強い。さらに、ネット空間はイラン国民にとり、経済苦や表現の自由に制約のある実生活から逃れ、当局の規制とのギリギリのラインで自己表現を行ったり、孤立したりしがちなマイノリティーらが居場所を得られる「最後の楽園」となっている。この最後の砦すら失うのではないかと危惧する若者は多い。
大統領は国民からの直接選挙により選出されることから、人々の期待と同時に、不満を受け止める「サンドバッグ」になるとも表される。大統領を含む三権の長の上に君臨する最高指導者にとっても、大統領は国民からの直接の非難を防ぐ「盾」となりうる。
果たして、ライシ新大統領は広く国民の声を受け入れる政策を採りうるのか、それとも2019年11月のガソリン値上げに端を発する国内の暴動への対応のように、ネット遮断も含め徹底して鎮圧する「矛」となるのか、注目していきたい。
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